#3 箱人間~『箱に入った男』/『箱男』/『箱女』

 

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 箱人間という、物騒なタイトルをつけました。検索にかけると、箱から霊が出てくるホラーや、なんだかいかがわしいコンテンツが表示されるのですが、今日のテーマを端的に表す言葉として、びくびくしながら使います。今日は箱人間に関する作品です。

 では穏やかなところから、一冊目、アントン・チェーホフの『箱に入った男』。ロシア文学で短編の名手とされる作家の作品です。

  全集にも載っている作品ですが、今回私が手に取ったのは、中村喜和訳、イリーナ ザトゥロフスカヤ・絵の単行本です。面白いのは、本の見開きというのか、中央部分、綴じ目の辺りにモノクロの骨太な挿絵が入っていること。キャンバスの布目が透ける素朴で粗削りなタッチによって、眼鏡やこうもり傘など、物語に登場するモチーフが一つ一つ描かれます。

 

 「箱に入った男」は、ベリコフという名のギリシャ語教師のあだ名です。ベリコフは、題の通り、持ち物すべてに外界からの覆いを掛け、思考も型にはまって柔軟性がなく、あらゆる逸脱や例外に耐えられないような人物です。

こうもりには袋をかぶせ、時計は黄色い革袋に入れ、鉛筆をけずろうとしてナイフをとりだすのを見ると、ナイフが小さなサヤに収まっている、というわけです。顔さえ袋に入っているようでした。襟を立てて、いつも顔をかくしていたのです。(…中略…)ひと言でいえば、この男には身のまわりを膜で包んでおこう、箱をつくってとじこもり、外界の影響を受けないですまそう、というような強い気持が絶えずみとめられたのです。

  彼は、いわば町の厄介者です。規範や通告を杓子定規に守り通し、他の人にも押しつけ、ルールからの違反を認めると上司に申告する、面倒でつき合いづらい人物。町の人々は彼の態度にびくびくしながらも困り果てています。皆は、彼のせいで町中が重苦しい空気になっているのだと考えるようになります。

 

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 しかし、結婚をめぐる一連の事件の後でベリコフがいなくなると、晴れ晴れとした解放感の後にやって来たのは、また重苦しい日常が続くということへの気づきでした。 

私たちは町で狭苦しいところに暮らし、要りもしない書類をつくり、トランプ遊びをしています。これも箱ではありませんか。一生を怠け者や訴訟狂いや愚か者や引きずり女たちのあいだで過ごし、さまざまな空疎なことをしゃべったり聞いたりしています。これも箱ではありませんか。

  チェーホフにとって、箱というのは鍵となるモチーフのようです。郡伸哉さんの『チェーホフ 短編小説講義』(彩流社)では、こう述べられています。

「箱」は、チェーホフの作品を特徴づける概念の一つとして、これまでも広く用いられてきた。チェーホフの登場人物たちは、外界の危険を避けてひたすら安住したいという欲求、あるいは逆に、閉塞感をもたらす場所からとにかく逃れたいという欲求を強くもっている。

 『箱に入った男』では、滑稽なほど過剰な自己防衛と、過剰な規範意識をそなえた人物が、わたしたちが日々捉えられている見えない規範、タブーや束縛、限界や苦々しい欺瞞について、思いを至らせてくれるような気がします。

 たとえば今でも、社会で「当たり前」とされていることに知らず知らずしばられ、逸脱してもいいとわかってはいても突飛なことは出来ず、誰のせいにもできない重苦しさをかかえて生きているということが、あるかもしれません。

 どんな国にも、どんな時代にも「箱」は存在し、それを無視できない人を鬱々した気持ちにさせているのかもしれないのだと、気づかせてくれます。

 

 二冊目、この辺りから少し異様な雰囲気が醸し出されてくるのですが、安部公房の『箱男』です。(文庫本にあるように、英訳名「The Box Man」と書かれると多少シュールなのですが。)

箱男 (新潮文庫)

箱男 (新潮文庫)

 

  前作の「箱」が象徴だとすると、こちらの「箱」は正真正銘の段ボール箱です。冷蔵庫の空き箱のような段ボールを常に頭からかぶり、目の部分だけをくりぬいた覗き窓から世界を見ながら、都会を徘徊する『箱男』。

 《ぼくの場合》

 これは箱男についての記録である。

 ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰のあたりまで届く段ボールの箱のなかだ。

 つまり、今のところ、箱男はこのぼく自身だということでもある。箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけているというわけだ。

 この実験的長編作品は、箱の作り方の指南から始まります。それから、箱をかぶり都市の中で路上生活を送るという奇怪な生き方になぜか捉われて、いつの間にか箱男になってしまった人の話、それに贋物の箱男、魅惑的な看護婦に抱く愛情、さらに命を狙われる箱男の話なんかが続きます。

 それにしても、なにを好きこのんで、そんな箱男をわざわざ志願したりする者がいるのだろうか。不審に思うかもしれないが、その動機たるや、呆れるくらい些細な場合が多いのだ。(中略)

一度でも、匿名の市民だけのための、匿名の都市―扉という扉が、誰のためにもへだてなく開かれていて、他人どうしだろうと、とくに身構える必要はなく、逆立ちして歩こうと、道端で眠り込もうと、咎められず、(…中略…)いつでも好きな時に、無名の人ごみにまぎれ込むことが出来る、そんな街―のことを、一度でもいいから思い描き、夢見たことのある者だったら、他人事ではない、つねにAと同じ危険にさらされているはずなのだ。

 この本は、著者が判然としない不連続な記述、新聞記事の一部やメモ書き、モノクロ写真を織り込みながら進んでいきます。ばらばらになった現実や想像が錯綜する感じがあり、読み進めるうち、どこまでが願望や夢想で、どこまでが現実なのか、正気なのか狂気に捉われているのか、眠っているのか醒めているのか、わからなくなってくるような。

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 同時に、どちらが見ている方でどちらが見られている方なのか、どちらが書いている方でどちらが書かれている方なのかさえも自信がなくなって、物事の前提がいつの間にか揺らいでくる。下の引用は、夢見ることと醒めることについて、箱男が考えているところです。

貝殻草のにおいを嗅ぐと、魚になった夢を見ると言う。(中略)

貝殻草の夢が、やっかいなのは、夢を見ることよりも、その夢から覚めることのほうに問題があるせいらしい。本物の魚のことは、知るすべもないが、夢の中の魚が経験する時間は、冷めているときとは、まるで違った流れ方をするという。速度が目立って遅くなり、地上の数秒が、数日間にも、数週間にも、引き延ばされて感じられるらしいのだ。

 破綻しているように見えて、イメージがつながったり途切れたりするなかでゆるやかなまとまりを持った作品になっている。異様な世界、自分とはかかわりのない人たち、と線引きをしたくなるけれど、いつでもだれでも陥ってしまう可能性のある、狂気の崖のふち。その中をおそるおそる覗き込んでいるような気持になります。

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 最後に紹介するのは、渡辺松男さんの『箱女』という、短歌の連作です。『歩く仏像』という歌集に収録されています。残念ながら絶版になってしまったようで、Amazon楽天では商品が見つけられませんでした。わたしは、地方の図書館でこの本を見つけました。

 十の短歌からなる連作は、二つ目に紹介した『箱男』から着想を得て書かれたそうです。なんともいえない状況ですが、「われ」と「われの恋人」はどちらも段ボール箱なのです。荒唐無稽にも思える設定だからこそ、なんだか感情の不器用さや、すれちがいが、素朴に浮き上がってくる気がします。

さみしそうにわれの恋人箱女側面をそっとすり寄せてくる

箱女を抱こうとする箱男懸命に手を四角に伸ばす

さみしさでいっぱいだよとつよくつよく抱きしめあえば空気がぬける 

 不思議な余韻が残るところですが、今日はここまでにします。読んでくださってありがとうございます。

 

~今日のおまけ

お菓子の箱だけで作る空箱工作

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  • 発売日: 2019/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

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