#5 円卓の騎士~『忘れられた巨人』/『薤路行』

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 イングランドを中心に、五世紀の昔から形を変えて語り継がれる「アーサー王伝説」。今回はその脈々とつづいてきた系譜の中でも、近現代のアレンジを加えた二作品の小説を取り上げたいと思います。

 はじめに、「アーサー王伝説」の来歴やあらすじを少し。アーサー王は、6世紀ごろにブリトンを率いていたとされる伝説上の人物です。モデルがいるともいわれますが、文献の信憑性は低く、様々な伝説の中で脚色されてきた人物像と思われます。

 魔術師マーリンに育てられたアーサーは、王となるべき者だけが引き抜けるとされる聖剣エクスカリバーを手にしたことで即位し、勇敢で忠誠の厚い「円卓の騎士」を集めて、ブリタニアを統一します。巨人やローマ人との闘いにも打ち勝ち、アーサー王の宮廷「キャメロット」は栄華をきわめますが、王妃のグィネヴィアと円卓の騎士の一人であるランスロットが不倫していたことが露見します。なんとか和解しますが、その隙をついてアーサーの甥であるモルドレッドが反乱を起こし、王国は護られたものの、アーサーは命を落とします。

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 魔術師マーリンや聖剣エクスカリバー、グィネヴィアとランスロットの不倫といった要素は物語が好きな人の想像力をかき立てるのか、数々のアニメやゲームにも登場する設定に思われます。歴史的にも、少しずつ詳細を変えながらさまざまな作家が描き継いでた物語ですが、今日紹介するのはカズオイシグロさんの『忘れられた巨人』です。 

忘れられた巨人

忘れられた巨人

 
忘れられた巨人

忘れられた巨人

 

  『忘れられた巨人』の主人公は、アクセルとベアトリスという名の老夫婦。アーサー王の名声がそう遠くない時代、二人は荒涼とした村地の外縁で静かに暮らしています。しかし、過去になにか無残なことが起こったような記憶がときどきよぎって心が落ち着かない。

 霧に包まれた過去にさいなまれ、夫婦は旅に出ます。円卓の騎士の生き残りであるサー・ガーウェインや、少年エドウィン、戦士のウィスタンと出会い、山の奥に眠る竜の退治をめぐる争いに、巻きこまれて行きます。

「どうしたの、アクセル」とベアトリスが低い声で尋ねた。「心が穏やかでないふう に見えますよ」

「何でもないよ、お姫様。ただ、この荒涼ぶりがな……一瞬、わたし自身がここで思い出にふけっているような気がした」

「どんなことを、アクセル」

「わからない、お姫様。あの男が戦争や燃え落ちた家のことを話したとき、何かがよみがえってくるような気がした。お前と知り合う以前のことだったに違いないんだが」

土屋政雄訳)

アクセルは妻を「お姫様(Princess)」と呼びます。 

竜を倒せばなにかが変わるのか。封印された忌々しい過去とは何だったのか。視界の利かないイングランドの丘陵地帯をさまようように、読み進めるほうも謎めいたまやかしに包み込まれていくのを感じます。こちらはサー・ガーウェインによる魔術師マーリンの追憶。なにか不穏なことが隠されている匂いがします。

マーリン殿!たいした男だった。一度、この人は死神にすら魔法をかけるのかと思ったが、最後はやはり死神の軍門に下ってしまわれたか。いまは天国におられるのやら、地獄におられるのやら。アクセル殿に言わせれば悪魔の召使だったそうだが、あの方の力は神を喜ばせるためにもよく使われていた。それに、勇気のない方ではなかったことも言っておかねばならぬ。

土屋政雄訳)

  この物語で描かれるのは、キャメロットの壮麗な社交場でも騎士道の恋愛でもなく、王国の繁栄の背後にあった残虐、終わりない戦いの連鎖、身近な人との間にもあるどうしようもない隔絶などです。平和とは何か、などさまざまなことを考えさせてくれる作品。夫婦のやりとりに注目しながら読んでみてください。

 

 二冊目は趣向を変えて、夏目漱石の『薤路行(かいろこう)』という短編。全集に掲載されているほか、青空文庫などでも読むことができます。

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  『薤路行』は漱石の初期の作品で、イギリス留学時代に発想を得たのか、『倫敦塔』にも見られるような格式高くいかめしい書き口が特徴的です。題材となっているのは、王妃グィネヴィアとランスロット、予言者シャロットの女、そしてランスロットが北方の遠征先で出会った「美しい少女」、エレーンの運命。

 シャロットの女とエレーンは先ほどのあらすじには登場しませんでしたが、二人はいわばアーサー王物語の本筋から枝分かれした、外伝に登場する人物たちです。

 『薤路行』のランスロットは王妃グィネヴィアと密会していたせいで北方の戦いに遅れ、身分を隠して参戦することにします。その道中で出会ったのが、純朴で世間知らずな少女エレーンです。彼女は騎士の姿にすっかり心を奪われてしまいます。

可憐かれんなるエレーンは人知らぬすみれの如くアストラットの古城を照らして、ひそかにちし春の夜の星の、紫深き露に染まりて月日を経たり。う人はもとよりあらず。共に住むは二人の兄とまゆさえ白き父親のみ。
「騎士はいずれに去る人ぞ」と老人は穏かなる声にて訪う。
「北のかたなる仕合に参らんと、これまではむちうって追懸けたれ。夏の日の永きにも似ず、いつしか暮れて、暗がりに路さえわかれたるを。――乗り捨てし馬も恩にいななかん。一夜の宿の情け深きにむくいまつるものなきを恥ず」と答えたるは、具足を脱いで、黄なるほうに姿を改めたる騎士なり。

 こうして読んでみると、ほぼ古文、というより漢文の書き下し文ですね。

 エレーンはランスロットに思いを込めて赤い絹の袖を手渡し、武運を祈ります。そのおかげでランスロットも戦いで華々しい活躍を見せますが、シャロットの女の呪いによってランスロットはその後病に伏し、エレーンも忘れられた身をつらく思って命を絶ちます。こちらは、エレーンがみずからの死後に棺を舟に乗せて流してほしいと遺言するシーンです。

「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手にこのふみを握らせ給え。手も足も冷え尽したる後、ありとある美しききぬにわれを着飾り給え。隙間すきまなく黒き布しき詰めたる小船こぶねの中にわれを載せ給え。山に野に白き薔薇ばら、白き百合ゆりを採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」
 かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開くなし。父と兄とは唯々いいとして遺言のごとく、憐れなる少女おとめ亡骸なきがらを舟に運ぶ。

 かなわない恋に破れて命を縮め、亡き後に花の積まれた小舟で流されてゆく少女、というテーマは画題にも好まれ、特にラファエル前派と呼ばれる画家たちがこぞって描きました。

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ジョン・アトキンソン・グリムシャウ作  1836-1893年

 ここから先はわたしの邪推かもしれないのですが、この場面を読んで思い出した漱石の句があります。

有る程の菊抛(な)げいれよ棺の中

 親交のあった大塚楠緒子(おおつかくすおこ)という女性が亡くなった時に、漱石が詠んだ句です。『薤路行』が書かれた五年後のことです。楠緒子は東京控訴院長・大塚正男の娘で、漱石の学生時代には、彼女との結婚話も持ち上がっていました。

 そんな彼女を悼む一句に、棺を花で充たすよう懇願したエレーンの姿が重なります。グィネヴィアとランスロット、エレーンの関係に自分たちをそっとなぞらえたのかもしれないなどど、想像してしまいます。

 今日はここまでにします。読んでくださってありがとうございます。

 

~おまけ

魔法の島フィンカイラ (マーリン 1)

魔法の島フィンカイラ (マーリン 1)

 

  暇つぶしに読める小品でもなんでもないけれど、わたしが好きなマーリン伝説のファンタジー(全五巻)。世界観と日本語の翻訳が秀逸で、子供のころ夢中になって読みました(個人的には、ハリーポッターと同じくらい有名になってほしい)。巻頭についた魔法の島の地図や、ところどころに銘うたれる予言めいた言葉など、冒険心をくすぐる細部の装丁が素敵です。神秘と不思議の世界に浸りたいときには是非。