#17 結婚前夜~『華麗なるギャツビー』/『ジェーン・エア』/『私の男』

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 マリッジブルーという言葉がありますが、人生の中でも華やかで多幸感にあふれる結婚を前にしても、これでよかったのか、この先何が待っているのかという不安が襲ってくるものなのでしょうか。未婚のわたしは想像するばかりですが、人生に一種の決定打を打ってしまうような、誰かのものになってしまう恐ろしさもあるのかもしれません。文学でも、結婚直前の不確かな感情を描いた文章には心に残るものが多くあります。その先の結婚生活の不幸を暗示したり、より大切な誰かの存在を想像させたり。今回はそんな切り口から三冊を紹介したいと思います。

 一冊目は、スコット・フィッツジェラルド華麗なるギャツビー』です繊細な筆致で1920年代ニューヨークでの恋愛を描いた作品で、アメリカ文学の中でも傑作とされます。

 ニューヨークの大邸宅に住む富豪・ギャツビーは毎週豪華なパーティーを開いていましたが、それは実は5年前に離れた元恋人のデイジーと再会するというささやかな目的のためでした。連夜のパーティーは功を奏し、二人は再び会うことになりましたが、デイジーはギャツビーに好意を持ちつつもすでにブキャナンという男と結婚していました。デイジーとの失われた時間を取り戻せると信じて彼女に近づくギャツビー、デイジーの影で浮気をするブキャナン、語り手の青年ニックとデイジーの友達でテニス選手のジョーダン、彼ら感情が交錯した末にある決定的な事件が起こります。

「狂騒の20年代」と呼ばれた1920年代のアメリカだけあってギャツビーのパーティーは素晴らしく贅を極めた狂乱の様相です。しかし、ギャツビー本人は騒ぎまわることなくあくまでも紳士的で社交的に振舞います。

On week-ends his Rolls-Royce became an omnibus, bearing parties to and from the city between nine in the morning and long past midnight, while his station wagon scampered like a brisk yellow bug to meet all trains. And on Mondays eight servants, including an extra gardener, toiled all day with mops and scrubbing-brushes and hammers and garden-shears, repairing the ravages of the night before. 

 Every Friday five crates of oranges and lemons arrived from a fruiterer in New York-every Monday these same oranges and lemons left his back door in a pyramid of pulpless halves. 

 週末になると、ロールスロイスは朝の九時から真夜中まで、ニューヨークとの間を行き来して客人を運ぶ送迎バスになった。彼のベンツはすばしこく黄色い甲虫のように走り回り、皆を迎えた。月曜日には手伝いの庭師を含めて八人の使用人が、モップやデッキブラシや金づちや高枝鋏を手に、一日中駆けまわって前の晩の狼藉の後始末をした。

 金曜日には毎週、ニューヨークの果物店からオレンジやレモンが五籠届けられ、月曜日には半分に切って中身をくりぬかれた皮が山をなして裏口から運び出された。

 この後、デイジーとの関係が近づくにつれ、富豪としての彼の生活にも影が差しはじめます。たった一人の女性との再会を願って、どこの者ともわからない客と夜な夜な酔い明かすパーティーを催していたところには類まれなひた向きさがあります。

 デイジーの方も、別れたギャツビーのことを忘れられないまま、社交界では何食わぬふりを装って注目をほしいままにしていましたが、人生の安定や指針が欲しくてブキャナンとの結婚を選びます。下の様子は、デイジー結婚前夜に取り乱していた様子を友達のジョーダンが後に思い出して語るところです。悲しくてとても好きな描写。

I was a bridesmaid. I came into her room half an hour before the bridal dinner, and found her lying on her bed as lovely as a June night in her flowered dress- and as drunk as a monkey. She had a bottle of Sauterne in one hand and a letter in another. 

''Gratulate me,' she muttered. 'Never had a drink before, but oh how I do enjoy it.'

'What is the matter, Daisy?'

 I was scared, I can tell you: I'd never seen a girl like that before.

'Here, deares'.' She groped around in a waste-basket the had with her on the bed and pulled out the string of pearls. 

'Take 'em downstairs and give 'em back to whoever they belong to. Tell 'em all Daisy's change' her mine. Say, : "Daisy's change' her mine!"'

 She began to cry- she cried and cried. I rushed out and found her mother's maid and we locked the door and got her into a cold bath. She wouldn't let go of the letter. She took it into the tub with her and squeezed it up in a wet ball, and only let it leave it in the soap-dish when she saw that it was coming to pieces like snow. 

 But she didn't say another word. We gave her spirits of ammonia and put ice on her forehead and hooked her back into her dress, and half an hour later, when we walked out of the room, the pearls were around her neck and the incident was over. Next day at five o'clock she married Tom Buchanan without so much as a shiver, and started off on a three months' trip to the South Seas.

 私は花嫁のつき添い役だった。婚姻の晩餐が始まる半時間くらい前に部屋をのぞくと、あの子は花柄のドレスを纏って、六月の宵みたいに可憐な姿で横たわっていた。お猿さんみたいに酔っぱらっていた。片手にソールテーヌの白ワイン瓶、もう片方の手に一通の手紙を持っていた。
「お祝いしてよ」あの子はぼやいた。「お酒って初めて飲んだけれど、とっても美味しいのね」

「デイジー、どうしちゃったの?」
 私は恐ろしくなった。女の子がこんな風に酔うのを見たことがなかった。
「ちょっと、いい子だから」
 デイジーはベッドの上にまで持っていっていたくず籠をあさって真珠のネックレスを引っ張り出すと、
「こんなもの、下にもっていって、誰でもふさわし人に返してきてよ。みんなに、デイジーは気が変わったって言って。デイジーは、気が変わったって!」
 あの子は泣き始めると、泣いて泣いて、泣き続けた。私はデイジーの母親のメイド急いでを呼んで来て、彼女を冷たいお風呂に入れた。デイジーは手紙を離そうとしなかった。お風呂の中で濡れた紙玉になるまで握りしめ、雪片のようにほぐれるようになってようやく、石鹸置きの上に手放した。

 デイジーはそれ以上ひと言も喋らなかった。私たちはアンモニア薬を飲ませ、額に氷をあてて元の衣裳を着せ直した。そして半時間後、部屋を後にした時、彼女の首もとには真珠がさがり、騒動は終わったのだった。次の日の5時にデイジーは顔色ひとつ変えることなくトム・ブキャナンと結婚し、南洋へ3か月の新婚旅行に旅立った。

 高価な真珠をごみ箱に捨て、慣れないお酒に酔った花嫁が子供っぽい粗野な言葉遣いで「結婚はなしにする」と駄々をこねる。ギャツビーから届いた手紙はデイジーが話すことなく握り続けたせいで湯船に濡れて雪のようにふやけてしまう。

 フィッツジェラルドの文体の印象は、秋の陽だまりの中で誰も動かない、声も出さない、セピア色の色彩の中で小さな埃粒が舞うのを息を潜めて見つめているような。決して華美ではないのに肖像画みたいに美しい、そして流れるような展開が見事だなと思います。

 この作品は映画化もされていますが、アール・デコのようなコントラストの強い色彩を多用した2013年版よりも、淡い瑪瑙色とクリーム色が支配する1974年版が原作のテイストに近いのかなと思います。長い作品ではないので、ぜひ読んでみてくださいね。

 

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 二冊目は英国文学の傑作に数えられる、シャーロット・ブロンテ作『ジェイン・エア』です。人一倍強情で、頭を使って人を観察するのが得意なジェインが、雇い主のロチェスター氏と恋をするお話です。メロドラマチックかというとそうではなく、ジェインは自律心の強く、時に烈しい感情を表現することを躊躇わない人物として描かれます。自らの身に起こったことに関して自ら決断し、道を開いていく強さがあります。ラストでは愛の形について考えさせられ、なんだか神聖な心静かな気持ちになりました。

 幼いころに両親を亡くしたジェーン・エアは、癇癪持ちで自分が正しいと思うことを厭わずに指摘する性質のせいで親戚の伯母一家でも、寄宿学校でも、大人たちからは疎まれがちな子供でした。卒業したジェインは外の世界を見たいと言って、ソーンフィールド・ホールというお屋敷で家庭教師をはじめます。

 屋敷の主であるロチェスター氏は人に裏切られた過去やみずからの容姿への引け目から気難しい性格をしていましたが、物事を深く洞察し雇い主にも物怖じしないジェインと互いに理解を深めるようになります。

’In about a month I hope to be a bridegroom', continued Mr Rochester; 'and in the interim, I shall myself look out for employment and an asylum for you'.
'Thank you, sir: I am sorry to give―'
’Oh, no need to apologize! I consider that when a dependent does her duty well as you have done yours, she has a sort of claim upon her employer for any little assistance he can conveniently render her; indeed, I have already, through my future mother-in-law, heard of a place that I think will suit: it is to undertake the education of the five daughters of Mrs Dionysius O'Gall of Bitternuttt Lodge, Connaught, Ireland. You'll like Ireland, I think: they're such warm-hearted people there, they say'.
'It's a long way off, sir'.
'No matter- a girl of your sense will not object to the voyage or the distance'.
'Not the voyage but the distance: and then the sea is the barrier―'
'From what, Jane?'
'From England and from Thornfield: and―'
'Well?'
'From you, sir'.
 I said this almost involuntarily, and with as little sanction of free will, my tears gushed out. 
「あとひと月もしたら、わたしは花婿になる」とロチェスター様が言葉をついた。
「それまでに、勤め口と落ち着き先は探してあげよう」
「ありがとうございます。申しわけもございません、こんなことを―」
「なにも詫びることはない! 雇われているものが、君のように立派に責任を果たしているならば、雇い主が多少の援助をあたえるのは当然だと思う。わたしはすでに、義母になるひとから、君に適当だと思われる勤め口があると聞いている。アイルランドのコンノート州はビターナッツ荘のダイニアシアス・オゴール夫人に五人の令嬢がおり、その教育にあたってもらいたいという話でね。アイルランドは気っと気に入るよ。あちらの連中は人情に厚いそうだから」
「遠いところですね」
「いいじゃないか―君のようにしっかりしている子なら、船旅や距離など意に介すまい」
「船旅ではなく、距離の方が。海に隔てられていますし―」
「なにから隔てられていると言うの、ジェイン?」
イングランドから、ソーンフィールドから、そして―」
「そして?」
「あなたからです」
 私は思わずそう口走っていた。そして知らず知らず涙があふれてきた。

 聞いている方が怯むほどまっすぐに気持ちをぶつけるジェインは、純粋すぎて痛々しくも感じられます。こうして二人は結婚の約束をし、婚姻の日を迎えるのですが、この後に試練が待っているのでした。結婚前夜、ジェインは恐ろしい夢を見たと訴えます。

'I dreamt another dream, sir: that Thornfield Hall was a dreary ruin, the retreat of bats and owls. I thought that of all the safety front noting remained but a shell-like wall, very high and very fragile-looking. I wandered, on a moonlight night, through the grass-grown enclosure within: here I stumbled over a marble hearth, and there over a fallen fragment of cornice. Wrapped up in a shawl, I still carried the unknown little child: I might not lay it down anywhere, however tired my arms-however much its weight impeded my progress, I must retain it.'

「もう一つ別の夢を見たのです。ソーンフィールド・ホールが恐ろしい廃墟になり蝙蝠や梟(ふくろう)のねぐらになっているのです。あの堂々とした正面のたたずまいは消え失せ、抜け殻のような壁だけが、とても高く、今にも崩れ落ちそうに見えました。月夜の晩に、わたくしは草がぼうぼうと生えた敷地を歩いておりました。大理石の暖炉につまずくかと思えば、建物の軒飾りの葉片につまずきます。わたくしは肩かけに包んだ、あの見知らぬ子供を抱えています。腕がどれほど疲れようと、その子をどこにも横たえることはかないません。(略)」

 ジェインの感情の吐露は、他の人に自分の考えを納得させようとか、思い知らせようという論理的な策略によるのではなくて、ただただ熱く激しい感情が、本人の制御もきかないような次元で強力な精霊になって飛び出しているように思えます。ところどころに幽霊や魂などスピリチュアルな存在の力を思わせる表現が登場するのも特徴です。全身全霊の感情表現と言うのか、ジェイン自身の感情表現にも乗り移りやシャーマンを思わせる側面があると感じました。

'Did you see her face?'

'Not at first. But presently she took my veil from its place: she held it up, gazed at it long, and then, she threw it over her own head, and turned to the mirror. At that moment I saw the reflection of the visage and features quite distinctly in the dark oblong glass.'

'And how were they?'

'Fearful and ghastly to me-oh, sir, I never saw a face like it! It was a discoloured face- it was a savage face. I wish I could forget the roll of the red eyes and the fearful blackened inflation of the lineaments!'

(.......)

'Ah! -what did it do?'

'Sir, it removed my veil from its gaunt head, rent it in two parts, and flinging both on the floor, trampled on them.' 

「顔を見たのか?」

「はじめは見えませんでした。でもその女はやがてヴェールを手に取りました。それを掲げて長いことじっと見つめていましたが、やおらそれを自分の頭にかけて、鏡のほうを向きました。その瞬間わたくしは、暗い楕円形の鏡にはっきりと映っているその顔を、目鼻だちを見たのです」

「どんな顔だった?」

「ぞっとするような恐ろしい顔でした―ああ、あんな顔は見たこともありません!色変わりした、獰猛な顔でした。ぎょろりとむいた赤い目と黒ずんで膨れあがったものすごいあの顔を忘れられたら忘れたいのです!」

(中略)

「ああ! そいつはなにをした?」

「ぞっとするような頭からヴェールを取り、二つに引き裂いて床に投げすてると、足で踏みにじったのです」

 ヴェールを破られた花嫁というのは結婚直前に見るには恐ろしすぎる幻想です。この後、二人は困難に直面することになります。
 この作品、読むまでは不倫をあつかった作品かと思っていたので、良い意味で期待を裏切られました。文庫本の帯や本紹介にも「妻のある男性と恋愛する、自分の感情に正直な女性の話」などと書かれていることが多いので、勘違いしていました。ジェインは自分の感情や美意識、信念にとても正直です。譲れない信念と相容れないことはどうやっても受け入れられないし、ある時は感情の塊となってぶつかっていく姿がとても生き生きとしています。最後はハッピーエンドになるのですが、結婚の幸せや自分の思いを貫くということについて、新たな気持ちで考えさせられる作品だと思います。
 
 三冊目は日本の作家さんから、桜庭一樹さんの『私の男』。芥川賞を受賞している作品です。帯を引用すると、「落ちぶれた貴族のように、惨めでどこか優雅な男・淳悟は、腐野花の養父。孤児となった十歳の花を、若い淳悟が引き取り、親子となった。内なる空虚を抱え、愛に植えた親子が超えた禁忌」のお話。

 このお話は、主人公の腐野花が結婚するところから始まり、章ごとに時間をさかのぼっていくつくりになっています。読み進むにつれて、花と養父の淳悟がたどってきた過去が明らかになる。その前段として、どこか幸せに染まりきらない結婚式の模様が、描かれます。

「先日、電話でもお願いしたんですけど、結婚するときに花嫁が、家に伝わる古いもの、門出にふさわしい新しいもの、幸せな人から借りたもの、青いものの四つを身につけると演技がいいらしいんです。サムシングフォーって言うんですけど。まぁ、日本の風習じゃないけど、ロマンチックですからね」
「……ロマンチック」
 わたしの口元をみつめながら、淳悟が笑いを抑えるような震え声で返事をした。美郎は目を輝かせて話し続けた。
「えぇ。花嫁にとって特別な人なんだから、お義父さんからなにかもらえたらいいねと、花と相談したんです。なんだか直前でばたばたしていて、申しわけないんですけど。なにしろ披露宴の準備というものが、予想外に忙しくて。親類にも仕事関係にも気を使うし、花は細かいことには興味がなさそうだし」
「サムシングオールド、サムシングニュー、サムシングボロゥ、サムシングブルー、と言うのよね」
(中略)
淳悟がわたしの耳に、薄い、かわいた唇を近づけてきた。
 低い声。若いころにはなかったことだが、すこし、しゃがれている。声にはどこか酷薄な響きがあった。
「……サムシングオールド。なんだそりゃ、くだらねぇな、と思ったけど、ちゃんと持ってきた。これだよ」
 スーツのポケットに手を入れ、無造作になにかを取りだして、乱暴に投げた。テーブルに、ごろり、と銀色をした四角いものが転がった。ふるびた小型カメラだった。「フィルムも入ったままだよ。花」とつぶやく低い声にあわせて、わたしは短い悲鳴を漏らした。
「淳悟……。あなた、そんなもの、まだ持ってたの!」

 結婚を控えても、花と淳悟の関係は簡単に書き換えられない。それが陽気な花婿と対照をなして、少し残酷な疎外感も感じさせます。

養父らはいったい誰が、わたしからあふれるものを、奪ってくれるのだろう……。答える声はなくて、ただきらめく波だけが寄せては返すばかりだった。

 それから、観光を楽しんでいるときも、コテージにいるときも、美郎は楽しそうで、穏やかな時間が過ぎた。一度、父親に電話をした時だけすこし緊張していたようだったけれど、電話を切るとまた、楽しそうに翌日の予定を相談し始めた。時間が過ぎるのはのろのろと遅かった。
 (中略)

「南太平洋って」
 エメラルド色に輝く、眩しい海を眺めながら、わたしはつぶやいた。美郎が「えっ」と振りむいた。
「南太平洋って、この世の楽園とか、みんな褒めるけれど。たしかにきれいだし、すごく素敵だけど」
「うん」
「でもどことなく、ばかみたいな海よね」
「えぇーっ」
 自分でも知らないうちに、わたしはまた、淳悟がやっていたような、片頬をゆがませた肥育な笑みを浮かべていた。美郎が不思議そうに問いかえした。
「……花、この海を、どこの海とくらべてるの?」

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 花の記憶にあるのは、オホーツクの凍てつく海。それに比べて「ばかみたい」と言っているのは、悩みとは無縁な南太平洋の海と、無神経なほど能天気な新郎かもしれません。二人の過去に踏み込んでいく序章として描かれるうすら寒い「結婚」の姿でした。

 皆さんも、自分に重なる感情がありましたか。メランコリックな花嫁というのは儚くて書き甲斐のある題材だとは思いますが、ジューンブライドの季節にかぶるとちょっと不吉で申し訳ないので、取り急ぎ五月中にお届けしました…。今日も読んでくださって、ありがとうございます。