#16 時間から逃げ出す~『モモ』/『酔え!』/『悩みはイバラのようにふりそそぐ』

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 忙しくて時間がない、時間に追いかけられる日々から脱出したい。と思うこともしばしばな、せわしない現代です。お休みの日くらいは時間をわすれて羽を伸ばそうとするけれど、時間に捉われないように努力するというのも、つまりは時間を有効に使おう、なるべく無駄をなくそうなんていう時間基準の価値観の搦め手からは逃れられていないわけで。これはもう令和人の末期症状かも知れない。

 今日は、なんとかそんな時間の呪いから逃げ出すための魔法を探ってみたいと思います。一冊目は、児童文学の名作、ミヒャエル・エンデ作『モモ』です。コロナ禍が始まってから、時間の使い方を見直す人が増え、この本の売り上げも上がったと聞きました。

 円形劇場に一人で住む身寄りのない少女モモは、人の話を聞くことが得意。モモに話を聞いてもらうと誰でも、不思議と心がやわらかくなり、想像力は膨らみ、本当の想いを語ってしまうのでした。モモが特別親しかった二人の友達は、道路掃除夫の寡黙なおじいさん・ベッポと、話し上手な観光ガイドの若者・ジジでした。全く異なる二人でしたが、それぞれモモのことを大切に思っていました。
 道路掃除夫のベッポは何事も休み休み時間をかけて考え、行動に移します。道路を掃くにも、「ひとあしすすんではひと呼吸し、ひと呼吸してはほうきでひと掃き」というペースで進めます。そのこころをモモに語っている場面を引用します。

「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
 しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。どういうやり方は、いかんのだ。」
 ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
 またひと休みして、考えこみ、それから、
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
 そしてまたまた長い休みをとってから、
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」

 不思議なのは、一歩一歩の今に集中して掃き進めた時の方が、焦って進めた時よりもうまく仕事がはかどっているところ、そして「ひと足、ひと呼吸、ひと掃き」の方法で「どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからない」というところです。
 「長い時間の流れの中のちっぽけな今」という文脈づけをするのではなくて、「ただ、目の前にある今」に集中することが、時間の呪縛からのがれる一歩目なのかもしれません。
 平和だったモモたちの世界ですが、ある時、時間どろぼうである「灰色の男たち」が現れたことで状況はかわります。花を飾ったり、おしゃべりをしたり、インコを飼ったりと日々好きなことをして有意義に時間をすごしていた人々に、灰色の男たちは無駄なことをやめて時間を節約するようにそそのかします。はじめはおかしいと感じていた人たちも段々と時間の節約が幸福への鍵なのだと、思い込み始めてしまいます。

 フージー氏とおなじことが、すでに大都会のおおぜいの人におこっていました。そして、いわゆる「時間節約」をはじめる人の数は日ごとにふえてゆきました。その数がふえればふえるほど、ほんとうはやりたくないが、そうするよりしかたないという人も、それに調子を合わせるようになりました。
 毎日、毎日、ラジオもテレビも新聞も、時間のかからない新しい文明の利器のよさを強調し、ほめたたえました。こういう文明の利器こそ、人間が将来「ほんとうの生活」ができるようになるための時間のゆとりを生んでくれる、というのです。ビルの壁面にも、広告塔にも、ありとあらゆるバラ色の未来を描いたポスターがはりつけられました。絵の下には、つぎのような電光文字がかがやいていました。

 時間節約こそ幸福への道!
あるいは
 時間節約をしてこそ未来がある!
あるいは
 きみの生活をゆたかにするために―
 時間を節約しよう!

 耳の痛いスローガンですが、「何事も速く無駄なく効率的に」がモットーになった近代以降の価値観に、わたしたちの生活スタイルや行動、さらに幸福に関する考え方がどれほど影響されてきたのかを考えさせられます。
 このあとモモは仲間と共に時間どろぼうから時間を取り戻そうと奮闘するのですが、上記の引用箇所のほかにもたくさんの暗示的な、ぐさりと本質を言い当てる言葉たちが散りばめられていて、大人になって今こそはっとさせられます。今一度手に取りたい本だと思います。

 次に紹介するのは酔え!(Enivrez-vous)』という詩です。『悪の華』で知られるフランスの詩人・ボードレールの『パリの憂鬱(Spleen de Paris)』という詩集に収録されています。

 短い詩なので、原文を交えながら読んでいきたいと思います。

Il faut être toujours ivre. Tout est là: c'est l'unique question. Pour ne pas sentir l'horrible fardeau du Temps qui brise vos épaules et vous penche vers la terre, il faut vous enivrer sans trêve.

Mais de quoi? De vin, de poésie ou de vertu, à votre guise. Mais enivrez-vous.

常に酔っていることが肝要だ。すべてはそこにある。これこそ唯一の問題なのだ。君の肩に食い込み、君を地面に向かって傾けさせる時の重荷を感ぜずにいるためには、休みなく酔っていなければならぬ。

では何で酔うのか?ワインでも、詩でも、勇気でも、君の好きなもので酔うがよい。とにかく酔っているのだ。

 『時』を表すTempsが大文字で始まっており、「時間というもの」というような意味になるそう。肩へ食い込み、地面に傾けさせるのが『時』の働きだとすると、『酔い』の効果はその重荷から解き放ち天に向けて上昇する方向性を持っていると感じられます。『時』を忘れるために自分を酔わせるのは、ワインでもいいし詩でもいいし、勇気でもいい。

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Et si quelquefois, sur les marches d’un palais, sur l’herbe verte d’un fossé, dans la solitude morne de votre chambre, vous vous réveillez, l’ivresse déjà diminuée ou disparue, demandez au vent, à la vague, à l’étoile, à l’oiseau, à l’horloge, à tout ce qui fuit, à tout ce qui gémit, à tout ce qui roule, à tout ce qui chante, à tout ce qui parle, demandez quelle heure il est ; et le vent, la vague, l’étoile, l’oiseau, l’horloge, vous répondront : « Il est l’heure de s’enivrer ! Pour n’être pas les esclaves martyrisés du Temps, enivrez-vous ; enivrez-vous sans cesse ! De vin, de poésie ou de vertu, à votre guise. »

もしも時折、宮殿の階段の途中で、土手の草の上で、陰鬱で孤独な部屋のなかで、君が覚めたときに酔いが消えつつあるとしたら、風に向かって、波に向かって、星に向かって、鳥に向かって、時計に向かって、すなわちすべての逃げ行くもの、すべてのうなりたてるもの、すべての旋回するもの、すべての歌うもの、すべてのしゃべるものに向かって問いかけてみたまえ、“今は何時だ”と。すると風や波や星や鳥や時計らは、君にこう答えるだろう。“酔うべきときだ”と。時に虐げられた奴隷にならないために、酔っていたまえ。間断なく酔っていたまえ。ワインでも、詩でも、あるいは勇気でも、君の好きなもので。

 ちょっと可笑しいと思ったのが、他の調度品に交じって「柱時計」までもが同調していること。「あなたくらい役目通り、時刻を答えたらどうなの」と言いたくなるけれどそれもご愛嬌かな。

 ボードレールは「酔い」は飲酒に限らず「美徳」や「詩」でもいいと言います。時間や我を忘れて没頭し、没入することを言っているのだと思われます。お酒の勢いに任せて社会規範なんて忘れてしまえ、と主張しているのではなく、自分の立場や常識を忘れさせる没頭こそが想像の源になり、凝り固まった思想や常識(=時間!)、それに時間や論理から導き出される必然性や因果関係、前後関係から解放してくれるということなのではないかと思います。それはどこか、「前後から切り離された、ただ今という時間」を大切にするベッポの論理にも通じるところがあるように思えます。

 締めくくりには、詩の一部と短歌を少し引用したいと思います。

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 以前にも引用した俵万智さんの『短歌をよむ』に取り上げられていた山田かまちさんの作品から、時間について書かれた一節。山田かまちさんは10代の頃に制作した詩や絵や文章を数多く残して、1977年に17歳で逝去した詩人・画家です。作品には高校生の年齢の若者に押しつけられる価値観への反抗や、自分が何者かという葛藤が生の言葉と感情で吐露されています。その中でも、俵さんが注目していた部分がこちら。

ぼくは感じた
忙しさとねむさのなかで。
「そうだよ! なぜもっと早く
気づかなかったんだろう!」
そこでぼくは時間に質問した。
「君はまじめすぎるじゃないか、
なんでもっと気楽に遊べないの?」
なんだってんだい!
ここまで、時間め!
ついてこなくたっていいだろう!
それより答えろ
ぼくの質問に。
その時やってきたんだ、
まただよ。
ねむけと忙しさ。
(以下略)

 俵さんもこれを読んで、短歌を詠んでいます。

教室のでかい時計の上をゆくおまえは真面目すぎるよ、時間

 子供の時、高校生の時、そして大人になった今を振り返ると、時間の進み方や主導権が違うような気もします。幼い頃は時間は無限にあっていくら遊んでも海水のように減ることがなかった。それがいつからか巧く使うべき資本となり、同じ時間のなかでの効率や進捗を気にするようになった。灰色の男たちの思想が今はすっかり内在化されてしまっている危機感もあります。
 わたしはまだ読めていないのですが、山田かまちさんの遺作の絵画や詩をまとめて出版されたものが『悩みはイバラのようにふりそそぐ:山田かまち詩画集』です。1992年の出版当時、大きな反響があったそうです。表紙の絵柄からも原色を使った強い表現やぼかしたような塗り方の特徴がうかがえます。

 「時間から逃げ出す」をテーマに三冊を取り上げましたが、いかがでしたか。時間のとらえ方が変わると、不思議なことに、生活や人生、幸福へのとらえかたも変わってくる気がします。少しでも、時間にがんじがらめにされた毎日を組み直すヒントになれば。
 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。