#10 幼少期~『思ひ出』/『仮面の告白』/『銀の匙』

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 自伝的小説と呼ばれる作品の中でも、子供時代を描いたものを興味深いと感じます。物心がつくか、つかないかの朧げな風景や、近しい人々にまつわる断片的な逸話。作家がどんな幼少期を過ごしていたか、という好奇心よりも、原初的な記憶をどのようにとらえ直して、どのように語り直すかに関心がわきます。

 きょう、一冊目に引用するのは、太宰治の『思ひ出』。『晩年』と題された、少しも処女作に聞こえない一冊に収録された短編です。津軽の大地主の六男として生まれた太宰は、父母ではなく、乳母や叔母、女中に育てられていますが、両親の記憶よりも先に叔母の記憶があるといいます。『思ひ出』も、ごく初期の記憶を綴った文章から始まります。

 黄昏のころ私は叔母と並んで門口に立つてゐた。叔母は誰かをおんぶしてゐるらしく、ねんねこを着て居た。その時の、ほのぐらい街路の靜けさを私は忘れずにゐる。叔母は、てんしさまがお隱れになつたのだ、と私に教へて、神樣がみさま、と言ひ添へた。いきがみさま、と私も興深げに呟いたやうな氣がする。それから、私は何か不敬なことを言つたらしい。叔母は、そんなことを言ふものでない、お隱れになつたと言へ、と私をたしなめた。どこへお隱れになつたのだらう、と私は知つてゐながら、わざとさう尋ねて叔母を笑はせたのを思ひ出す。

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 明治天皇崩御の折、太宰は四歳くらいでした。天皇の死を直接的に口にした「不敬なこと」を叔母にたしなめられ、「お隠れになった」と言い直すけれど、「どこへお隠れになつたのだろう」という無邪気な一言を「知つてゐながら」つけたす。面白いなと思うのが、わざと子供らしさを装ったことを、子供自身がわかっていること。

 邪心や悪意から大人を欺こうとしていなくても、知らないふりをしてみたり、親の樹を惹く甘えを働いてみたり。「あ、こう振舞ったほうがいいんだな」と子供ながらに直感する心には誰でも、多かれ少なかれ思い当るところがあるのではないかと思います。

 次の箇所は、学校に上がったころの話。

 嘘は私もしじゆう吐いてゐた。小學二年か三年の雛祭りのとき學校の先生に、うちの人が今日は雛さまを飾るのだから早く歸(かえ)れと言つてゐる、と嘘を吐いて授業を一時間も受けずに歸宅(きたく)し、家の人には、けふは桃の節句だから學校は休みです、と言つて雛を箱から出すのに要らぬ手傳ひ(てつだい)をしたことがある。また私は小鳥の卵を愛した。雀の卵は藏の屋根瓦をはぐと、いつでもたくさん手にいれられたが、さくらどりの卵やからすの卵などは私の屋根に轉つて(さえずって)なかつたのだ。その燃えるやうな緑の卵や可笑しい斑點(はんてん)のある卵を、私は學校の生徒たちから貰つた。その代り私はその生徒たちに私の藏書を五册十册とまとめて與(あた)へるのである。

 嘘もつく、可愛い小鳥の卵を手に入れようと、黙って家の蔵書を譲り渡すこともする。たわいないもののために実行された小さな悪事が子供らしいというか何というか。あらためて『思ひ出』を読んでみて、以前は暗く陰気な回想だなと思っていたのが、今回は「とても正直だな」と感じたのに驚きました。学校や家族という、大人からすれば矮小な世界がすべてという年頃の、変転する興味や、欲しいものを手に入れようとして講ずる苦しまぎれの策や、あらぬ方向へ突進する夢想が、なんだかとっても素朴で素直に思えました。読む側の年齢にも関係があるのかな。

 

  脱線するようですが。最初の記憶は何だったか、憶えていますか。記憶を凝らしてみると、何の変哲もない、大人があえて気にも留めないような一場面だったりします。わたしの場合、三歳まで住んでいた社宅で、朝、保育園への支度を急かされた記憶。この社宅については間取りも家具も全く覚えていないのだけれど、その朝のその場面だけが不思議ととどまっている。あとで聞いた話から頭の中で構成し直したのか、まったくの作り事か、実際に合ったことにどれほど近いのかは誰もわからない。「最初の記憶」を語るのはとてもパーソナルな領域の自己開示といえなくもない気がします。

 

 さて、二冊目に引用するのは、三島由紀夫の『仮面の告白』。初期の作品で、みずからの精神や性的嗜好を客観的に生体解剖したある種「異様な」作品です。どちらの文庫本も、おどろおどろしい表紙絵。

 ここに登場する「私」は幼い頃、生まれた時の記憶があると言って大人を困惑させる。確かに憶えていると言い張るのは、こんな場面。

私には、一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思はれないところがあつた。湯を使はされた盥のふちのところである。下したての爽やかな木肌の盥で、内がはから見てゐると、うちのところにほんのりと光りがさしてゐた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできてゐるやうにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかつた。しかしそのふちの下の所の水は、反射のためか、それともそこへも光りが入つてゐたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしてゐるやうにみえた。

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 そこからはいくつか、幼年時の思考や嗜好を裏づける記憶がぽつぽつ語られる。大病をしたこと、肉体労働者の汗の匂いやジャンヌダルク、女性に扮することに魅力を感じたこと。親や親戚に不信や奇異の目で見られ、時にはきつく叱られる。そのうち、幼年時に終わりをもたらす出来事が訪れ、人とは何かが違うという漠然とした感覚がある時から強烈な自覚へ変わっていく。

幼年時。……

私はその一つの象徴のやうな情景につきあたる。その情景は、今の私には、幼年時そのものと思はれる。それを見た時、幼年時代が私から立ち去つてゆかうとする訣別の手を私は感じた。私の内的な時間が悉く私の内側から立ち昇り、この一枚の繪(絵)の前で堰き止められ、繪の中の人物と動きと音とを正確に模倣し、その模寫(模写)が完成すると同時に原畫(原画)であつた光景は時の中へ融け去り、私に遺されるものとては、唯一の原畫―いはばまた、私の幼年時の正確な剥製―にすぎぬであらうことを、私は豫感(予感)した。

 『仮面の告白』とは、題名が表すとおり、一筋縄で語ることのできる「自伝小説」ではありません。告白形式の自伝小説について、三島はこのように書き残しています。

もし「書き手」としての「私」が作中に現はれれば、「書き手」を書く「書き手」が予想され、表現の純粋性は保証されず、告白小説の形式は崩壊せざるを得ない。

(「作者の言葉」三島由紀夫

 書き手を書く書き手、その存在が予想されてしまった時点で、フィクションが介入し告白小説は成り立たなくなると三島は考えました。

仮面の告白」といふ一見矛盾した題名は、私といふ一人物にとつては仮面は肉つきの面であり、さういふ肉つきの仮面の告白にまして真実な告白はありえないという逆説からである。人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰い入った仮面だけがそれを成就する。

(『仮面の告白ノート』新潮社全集 三島由紀夫

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 三島由紀夫の小説を読んでいると、物事の道筋や因果関係について非常に深く考察され、感情と論理の筋が乱れず途切れないよう精密に構築されていることを感じます。表現の矛盾や純粋性について、つきつめてとらえた言葉に触れてからまた本文に戻ると、初読とは違った緊張感が得られるかもしれません。引用した新潮社の全集には、「ノート」と呼ばれる手記や構想段階のメモ等も収録されています。様々な作品について扱われているので、作者の思考の道筋を追うのに役立つと感じます。

 最後は後味はよく終わりたいから三冊目は中勘助銀の匙』。子供そのままの視点と物差しを思い出させてくれる本です。幼い頃、病弱だった「私」に伯母が漢方薬を飲ませるのに使っていた銀の匙が、抽斗から出てくる。そこから誘われるように、様々な思い出が、ひとつまたふたつと数珠をたどるように湧いて出てくる、そんなお話です。描かれるのは「私」の幼少期、育ててくれた伯母や季節の移り変わり、近所の女の子・「お蕙(けい)ちゃん」との思い出。わたしはこのお蕙ちゃんとのエピソードが大好きです。

 お隣に、同じくらいの歳の女の子が越してきた。家と家の間の杉垣ごしに、お互い様子を伺いながら、すましてみたり、相手の真似をしたりしているうちに、ふたりともぴょんぴょん跳ねる格好になった。

そんなにしてぴよんぴよん跳ねあつてるうちにいつか私は巴旦杏はたんきやうの蔭を、お嬢さんは垣根のそばをはなれてお互に話のできるくらゐ近よつてた。が、そのとき
「お嬢様ごはんでございますよ」
とよばれたので
「はい」
と返事をしてさつさと駈けてつてしまつた。私も残りをしく家へ帰り急いで食事をすませてまたいつてみたらお嬢さんはもう先にきて待つてたらしく
「遊びませう」
といつて人なつつこくよつてきた。私はお馴染になるまでにはもう五六遍も跳ねるつもりでゐたのが案に相違して顔が赤くなつたけれど
「ええ」
といつてそばへいつた。さきはもうはにかむけしきもなくはきはきした言葉つきで
「あなたいくつ」
ときいた。
「九つ」
と答へる。と
「あたしも九つ」
といつてちよつと笑つて
「だけどお正月生れだから年づよなのよ」
とませたことをいふ。わたし
「あなたの名は」
「けい」

 このませたお嬢さんがお蕙ちゃん。色白でほっそりしているけれど、口が達者で、好奇心も強い。仲良しと好きがごっちゃになる年ごろ、「私」は可愛いお蕙ちゃんと一緒にいるのがうれしくて楽しい。「珠玉の」と形容するのがふさわしい、素朴に光る子供時代のエピソードがいくつも。

また睨めつこが得手でいつでも私を負かした。お蕙ちやんの顔は自由自在に動いて勝手気儘な表情ができる。あんがりめ さんがりめ なんといつて両手で眼玉をごむみたいに伸び縮みさせたりする。私はその睨めつこが大嫌ひだつた。それは自分が負けるからではなくて、お蕙ちやんの整つた顔が白眼をだしたり、鰐口になつたり、見るも無惨な片輪になるのがしんじつ情なかつたからである。 

  このにらめっこの場面がとても好き。わたしの持っている角川文庫版のあとがきに、作家の川上弘美さんは『銀の匙』についてこう書いています。

女性蔑視と結局は同じ意味を持つ自己満足的な女人崇拝の気配は、ここには全然ない。(中略)机に残された、今でいうなら「へのへのもへじ」や「つる三ハののムし」のような落書き。その子供っぽい乱雑さが、女の子をへんなふうに美化するよりも、かえって哀感をさそうのだ。

 『思ひ出』について書いたことと矛盾するようだけれど、こちらでは打算とか、策略のない言葉や感情が、とても新鮮に飛び込んでくる気がします。物事をややこしく組み立てて考えずに、ただありのままを好き、嫌い、と言えた頃があったなあと、さわやかに思い起こさせてくれる。

 今日も読んでくださってありがとうございました。

~今日のおまけ

奇跡の教室 (小学館文庫)

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〈銀の匙〉の国語授業 (岩波ジュニア新書)

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 三冊目に紹介した『銀の匙』を、中学の三年間かけてじっくり読みこむという国語の名物授業が関西の名門・灘中学校にあったそうです。読むだけではなく、物語に登場する駄菓子を食べてみたり、凧揚げの場面を再現してみたり。いわゆる「授業」という時間や場所を飛び出した、暮らしに根付いた学びを味わう懐の広い学びが展開されました。

 この授業を受けた世代の生徒からは、東大学長や弁護士会の総長、大手企業の取締役、芥川賞作家も輩出されました。速読のように要点だけをなるべく効率的に取り込もうとするのではなく、派生する言葉や習慣に興味を広げ、深く身になる学びを体験する。『銀の匙』に描かれた子供時代を追体験するこの奇跡の授業は、教室での学び、特に「国語の授業」の意味を考えさせてくれます。