#9 茶の本~『茶の本』/『100分de名著 茶の本』

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 日本の文化を違う国の人に伝えるというのは、とても難しいことだと思います。形だけ真似してみても、習慣や言葉、宗教の考え方など違いが立ちはだかって、「ほんとはちょっと違うんだけどな」と理解の齟齬が生まれてしまう。

 日本文化が注目されて、お寿司がカルフォルニアロールに化けたり、着物がゆったりしたガウンの別名になっていたり。もちろん文化の広げ方はそれぞれだから、面白くもあるけれど、それだけが本質だと思われてしまうのは不本意な部分も…。

 明治時代に『茶道』を通して、日本文化や東洋哲学のこころを伝えようとした作品があります。岡倉天心の『茶の本』、原著は『The Book of Tea』という題で英語で書かれたものです。岡倉天心東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)を設立し、日本美術の発展に大きく貢献した人物ですが、漢籍にも造詣が深い思想家としても知られています。

茶の本

茶の本

 
茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス)

茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス)

  • 作者:天心, 岡倉
  • 発売日: 1998/03/27
  • メディア: ペーパーバック
 

茶道は、雑然とした日々の暮らしの中に身を置きながら、そこに美を見出し、敬い尊ぶ儀礼である。そこから人は、純粋と調和、たがいに相手を思いやる慈悲心の深さ、社会秩序への畏敬の念といったものを教えられる。茶道の本質は、不完全ということの崇拝―物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある。不可能を宿命とする人生のただ中に合って、それでもなにかしら可能なものをなし遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである。

Teaism is a cult founded on the adoration of the beautiful among the sordid facts of everyday existence. It inculcates purity and harmony, the mystery of mutual charity, the romanticism of the social order. It is essentially a worship of the Imperfect, as it is a tender attempt to accomplish something possible in this impossible thing we know as life. 

茶の本』中で、『茶道』は一般的なTea ceremony ではなく、より思想・概念らしいTeaismと訳されます。そして、茶道の美学には「道教」が深くかかわっていると岡倉天心は書いています。「道教」は老子の考えを素地とした思想です。孔子の「儒教」が礼仁を重んじ、規範に従った理想の生き方に近づこうとするのに対し、「道教」は自然に任せ「道」を体現することを説きます。

 ここからは、NHKの番組テキスト『100分de名著 茶の本』という一冊を足がかりにします。100分de名著という番組は、日本・世界のいわゆる「名作」を25分×4回の放送で読み解く番組で、そのたびに専門家のコメントや俳優さんの朗読が楽しめ、わたしも時間が合えば見ています。本のセレクトも純文学、社会学、哲学など多岐にわたり、「難しそう」「一度は読んでみたいけれど」と躊躇いがちな作品にも第一歩を誘導してくれる番組だと思っています。この回については岡倉天心研究の第一人者、大久保喬樹さんがゲスト講師として参加されています。

 『茶の本』では、「不完全性」と「相対性」という概念が鍵となっています。どちらも道教に基づく考え方です。

道教は虚であり不完全であることにこそ価値を見出します。すべてが現実化してしまっては、もうそれ以上新しい発展の可能性はありません。ですから、絵の余白のように、常に新しい発展の可能性を残しておくことが、重視されるのです。(中略)からっぽである方が、その先の発展の可能性があるわけです。(100分de名著)

 完成されたものはそれで終わりだが、不完全なものこそ無限の可能性を含んでいる。茶室には豪華絢爛な装飾はなく、いわば殺風景で質素な空間ですが、だからこそあらゆるものを受け容れる場として重要な意味を持つ。

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 さらに、「相対化」とは、「絶対」的な理想形に近づこうとするのではなく、自然のままの変化を受け容れること。茶室には花を生けるにも完全な満開を挿すのではなく、挿した花がうつろい萎れてゆくのも自然のままにまかせるという方法がとられます。主人の仕事は花を選ぶところまで。この視点は、自然を切り取って好きな形に成型するフラワーアレンジメントとは違い、自然と共存する東洋の姿勢と評されることもあります。

  天心自身が、老子の言葉を用いて道教の精神を記した文章を引用します。

「あらゆるものをはらんだ、天地に先立って生まれたものがある。何と静かなことだろう。何と孤独なことだろう。一人きりで立ち上がり、そのまま変わることがない。やすやすと自転し、万物の母となる。その名を知らないので道と呼ぼう。無限といっても構わない。無限はすばやいということであり、すばやいということは消滅するということであり、消滅するとは戻ってくるということである」

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八芳園茶室「夢庵https://www.happo-en.com/banquet/

 では、なぜ岡倉天心は『茶の本』を英語で執筆したのでしょうか。背景には脅威を増す帝国主義がありました。『茶の本』が発表された1906年には、東アジアの小国だった日本も日清・日露戦争を経て、軍事力で他国を制圧するようになります。岡倉天心は、倫理や善行が崩壊する世の中に危機感を持っていたようです。

現代世界において、人類の天空は、富と権力を求める巨大な闘争によって粉々にされてしまっている。世界は利己主義と下劣さの暗闇を手探りしている有り様だ。知識は邪心によって買い求められ、善行も効用を計算してなされるのである。(中略)

 それまでの間、一服して、お茶でも啜ろうではないか。午後の日差しを浴びて竹林は照り映え、泉はよろこびに沸き立ち、茶釜からは松風の響きが聞こえてくる。しばらくの間、はかないものを夢み、美しくも愚かしいことに思いをめぐらせよう。

The heaven of modern humanity is indeed shattered in the Cyclopean struggle for  wealth and power. The world is groping in the shadows of egotism and vulgarity. Knowledge is bought through a bad conscience, benevolence practiced for the sake of utility.(…) Meanwhile, let us have a sip of tea. The afternoon glow is brightening in the bamboos, the gountains are bubbling with delight , the soughing of the pines is heard in out kettle. Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things.

  暴虐な世の中と対比される、静謐で美しい茶の世界。ここで東洋哲学は、混迷した時代に解決策を与える救世主としてではなく、行きづまった西欧思想に別の視点をあたえ一石を投じるものとされている気がします。

 前回の記事で扱ったシュルレアリスムにもそうした一面がありましたが、西洋の合理主義一辺倒では立ちゆかなくなった帝国主義時代において、なんとか人間性を取り戻そうという必死の働きがうかがえます。

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岡倉天心の肖像 

 本文を通してみると、岡倉天心の書き口は妙に力が抜けて飄々としています。東洋思想が未開で稚拙なものと軽視された時代、「東洋思想には価値がある、真理がある」と真っ向から主張するかわりに、「たかが一杯のお茶なんですがね」と身をかわす軽やかさがこの本の特徴かもしれません。その文体は、小さなものが大きなものを転覆させる力学、不可能のなかに可能を見出す道教の逆説を具現化している風でもあります。

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天神山 茶室「松風庵」

 本流の議論からは外れますが、岡倉天心はお茶についてこんなことも言っています。

茶の味には微妙な魅力があって、人はこれに引きつけられないわけにはゆかない、(中略)茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、ココアのような気取った無邪気もない。

There is a subtle charm in the taste of tea which makes it irresistible and capable of idealisation. It has not the arrogance of wine, the self-consciousness of coffee, nor the simpering innocence of cocoa

  飲み物の味わいを人格にたとえる表現は新鮮だけれど、なんとなくそれぞれに納得できる、微笑ましいところがありますね。

 

 『100分de名著』の末尾には、さらに理解や考えを深めるための推薦本が挙げられています。文化の相対化や日本文化論に関する本として、そのラインアップは『武士道(新渡戸稲造)』『善の研究西田幾多郎)』『雑器の美(柳田邦夫)』『「いき」の構造(九鬼周造)』『野生の思考(レヴィ・ストロース)』。気になっていた本ばかりなので、ゆくゆくはこちらも取り上げていきたいと思います。 

 

~今日のおまけ

  樹木希林さんが出演された映画でも話題となった『日日是好日』。

日日是好日

日日是好日

  • 発売日: 2019/04/24
  • メディア: Prime Video
 

  この本には、親戚宅で茶道を習っていた中学生の頃に会いました。季節や自然とともに日々違った顔を見せるお茶室やお点前が、ひとの心に寄り添ってくれるところを描いているのが印象的です。わたしが好きなエピソードは「瀧」という掛け軸の筆遣いの雄々しさに主人公が勇気をもらうところ。雄弁な文化ではないからこそ、調度や場の空気から様々なことを感じる余地があるのかなと思います。今日も読んでくださってありがとうございます。