#1 ばらける言葉~『流跡』/ 『カリグラム』

 

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 新聞や本の文章を読んでいると、文字が一列に何文字、それが横あるいは縦に何行、という規格通りに並んでいるのが当たり前に思えてくるけれど、ほんらい言葉はそんな四角い形に配置されていなくてもいい。と、あらためて考えるとそうなのだけれど。

 

 表現上、文字をばらけさせてみる。まっすぐ整頓していた言葉の配置を変え、あるいは言葉自身がゆるやかにその隊列を離れていく印象を表してみる。今回はそんな作品を取り上げてみたいと思います。

 

 じつは文字と言葉と意味との間には少しずつ隙間があって、言葉や文字が意味とは違う次元のところで自由な息遣いをしているような、不思議な気持ちになる作品たちです。

 

 まず一冊目、朝吹真理子さんの『流跡』を、印象的な冒頭から。

流跡 (新潮文庫)

流跡 (新潮文庫)

 

 

……結局一頁として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じ本を目が追う。どうにかすこしずつ行が流れて、頁の最終段落の最終行の最終文字列にたどりつき、これ以上は余白しかないことをみとめるからか、指が頁をめくる。……られて、し…つきになるこ……光波に触れ、垂直につづくそれら一文字一文字を目は追っていながら、本のくりだすことばはまだら模様として目にうつるだけでいつまでも意味につながっていかない。

                     (『流跡』新潮文庫 p9)

 

 視線が文字を追い、文章を読み進めていくというありふれた行為が、なにか食い違い、頁をめくっているのに言葉の内容が入ってこない。不穏な気持ちのするこの始まりから、この短編小説はかずかずの飛躍や唐突な行き止まりを経て進んでいきます。

 

 街には金魚があふれかえり、女は竜宮へいたるかもしれない波止場をうろつき、渡し船は生者だか死者だか得体の知れないものを運ぶ。気づけば読者も、主人公が誰とか、作者の意図がどうとか、そんな立ち位置は無縁の場所に来ています。文字を追っても理解とか納得とは程遠い、読んでいるのに、異世界を順ぐり眺めているような不思議な感覚に浸ってきます。

 

 はれ。ひゃらひゃら。

 轟きとともに、ロータリーのアスファルトがにわかにうごもち、人気の失せたアーケードの脇から、いままで乗っていたバスのなかから、タクシーから、コンビニから、ドラッグストアの角から、駅の出口から、そして空からも四方八方あふれ出るように、おおどかなすがたかたちの大金魚があらわれはじめた。

                      (『流跡』新潮文庫 p70)

 

 どうしてこんなところから金魚が……!なんて驚かずに、ひとまずは疑ったりもせずに、読み進めると、理由や動機、因果関係のしがらみから離れて、数珠つなぎの印象が繰り出されるひとつの光景の、目撃者になる気がします。

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  出てくるのはソメイヨシノ、小糠雨、「よからぬもの」、燐酸カルシウム……。古代の呪術を聞くような、誰かの遠い記憶をのぞくような、朝方の夢が現前したような。そこには終始、活字として並べられた言葉が掬い取られ、流れ去り、ぱらぱらと消えて跡形もなく過ぎてゆく、そんな心象がつきまといます。言葉のじかな手ざわりが、ありありと感じられてきます。

 

 そして文章は終息に向かうのだけれど、予感の通り、終止符の打たれたと思われた「文章」は固定されることなく流れ去っていく。

(中略)うつし出されていたはずの文字がほどけて溶けて、画面はひたすら白紙のがらんどうとなる。キーボードの隙間から書かれたものが流れる結晶となってあてどなくなだれ、四方にひろがってゆく。書くことがひとたびも終わらない。ふたたびひとやひとでないもののものおもいやひしめきの微温がつらつらつづきはじめる。文字がとどまることをさけ、書き終わることから逃げてゆく。ひたすら押し流れてゆこうとする。はみだしてゆく。しかしどこへ―  

                     (『流跡』新潮文庫 p84)

 

  『流跡』は朝吹真理子さんのデビュー作ですが、朝吹さんは後に『きことわ』で芥川賞を受賞しています。

 

 二冊目は趣向を変えて、ギヨーム・アポリネールの『カリグラム:平和と戦争のうた 1913-1916』という出版物から。こちらはフランス語で出版された詩集で、詩句の文字を絵のように配置するカリグラムという、独特の表現方法がとられています。

           

SALUT MONDE DONT JE SUIS LA LANGUE ELOQUENTE QUE SA BOUCHE O PARIS TIER ET TIERA TOUJOURS AUX ALLEMANDS

 やあ世界よ 私はその雄弁な舌だ その口から おおパリよ 何時だって 突き出し突き出し続ける、 ドイツ人どもに向かって

目を惹く上の作品は、『エッフェル塔のカリグラム』と呼ばれ、『二等牽引砲兵』と題された五つのカリグラムのうちの一つです。フランス兵がドイツに対抗心を燃やす愛国の詩とされています。

カリグラムは、文学の要素もあり、絵の要素もあり、文字だけの詩にはないイメージを想起する効果があります。

上の作品のように、活字を大文字で規律よく並べたものもあれば、流れるような手書きの筆記体で構成されたものもある。文字の配置のうつくしさといっても、それぞれには違った味があります。

f:id:honnneco:20210306204031p:plain雨が降る Il pleut :アポリネール詩集「カリグラム」 (壺 齋 閑 話)

 

 カリグラム自体のサイズも作品によって異なり、詩のもたらすイメージの大小に応じて変えられているとも見られます。細かいですが、エッフェル塔のカリグラムでも、活字の大きさや間隔が一行ごとに微妙に異なっている。7.8行目は小さく、一番下はどっしりとした土台を感じさせる大きな自体で。

 

 『IL PLEUT』、つまり『雨が降る』という題がつけられた右のカリグラムでは、詩のリズムと雨音の音階が響きい合うように見えます。右のカリグラムでは、文字が顔の形に配置されていることで、表情を想像することもできます。

 

 残念ながら、このような作品を「カリグラムとして」和訳し、絵として再構成した出版物は手に入りませんでした。翻訳すると、字数や文字の間隔も変わってしまうので、全体としての印象や効果をそこなわないまま翻訳するのは難しいのかもしれません。上に紹介した試薬の一部は、これらの本に掲載されています。

 

アポリネール詩集 双書・20世紀の詩人1

アポリネール詩集 双書・20世紀の詩人1

 
アポリネール詩集 (新潮文庫)

アポリネール詩集 (新潮文庫)

 

  東京では、2019年にカリグラムを特集した展覧会が開催されていたようです。原康史さんというグラフィックデザイナー方が訳と、日本語版のカリグラム作成を行われました。http://place.luckand.jp/exhibition/20190108/

 調べてみると、展覧会のグッズの販売が2021年春現在も継続されているみたいです。

『鏡』『ネクタイ』のカリグラムがそれぞれ鏡とネクタイ状にプリントされた、なんだか含蓄もありおしゃれでもある作品も。身につけることによって、詩句とカリグラムの形が、また違った光のもとで見えてくるかもしれません。

DANS CE MIROIR JE SUIS EN CLOS VIVANT ET VRAI COMME ON IMAGINE LES ANGES ET NON COMME SONT LES REFLET

かがみのなかであたかもわたしのように生きているわたしはほんとうの囲われ者しかしあなたが天使を思い描いたとしてもそのとおりに反射するとは限らない

(『かがみ』永原康史・訳)

歌集 百年後  21世紀歌人シリーズ

歌集 百年後 21世紀歌人シリーズ

  • 作者:浜田 康敬
  • 発売日: 2009/09/25
  • メディア: 単行本
 

 最後に、活字ならではの表現として、ある短歌を引用します。今はキーボードをたたけば即座に活字が表示される時代ですが、以前は出版物を作るのに一字ずつ活字を並べる作業が必要で、活字を組む専門の職人である植字工という仕事もありました。人の手で行う作業なので、文字がひっくり返っていたり、横倒しになるなどというミスも日常茶飯事だったようです。そんな植字工として働いていた経験のある詩人の浜田康敬の一首です。詩人としての批評精神からか、ささやかな反抗心からか、生半可な使われ方をしていたのだろう「死」という文字に、思いを反映させた一首です。

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(浜田康敬『望郷扁』より/永田和弘『現代秀歌』掲載)

 今日は言葉の配置や活字の「ばらける」イメージから想起して、作品を選んできました。次回以降もすこし「ひねた」視点から本を選び、一緒に読んでいきたいと思っています。最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

~おまけ

  活版印刷がなんとなく魅力的に思えて、気になっていた時期がありました。簡単な仕組みの器械から清書された活字が生み出される、その過程がレトロで可愛く感じられて。けれど、実際の手順が非常に多いことを知り、始める前に挫折してしまいました。

ロマンチックにみえるものは、いざ手を出そうとすると煩雑なことばかり…。

小さな活版印刷機 (大人の科学マガジンシリーズ)

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  • 発売日: 2017/12/15
  • メディア: 単行本